所在地:住吉区墨江2
写真/中原文雄 文/松本正行
南北朝時代といえば吉野と京都の対立とされますが、南朝の天皇が一時的とはいえ、上町台地に住まいを移していたことがありました。南朝第2代の後村上天皇と第3代の長慶天皇の際、仮の御所が住吉に置かれたのです。住吉行宮(行宮とは仮の御所のこと。写真上)と呼ばれ、住吉大社の南に、その跡が残されています。
合わせて9年も帝(みかど)がいたのですから、もはや行宮ではなく「御所」と言っていいかもしれません。後村上帝はここで崩御、長慶帝はここで即位しています。住吉大社周辺は長く楠木氏の勢力圏であり、また住吉大社の神主家・津守氏と大覚寺統(南朝に連なる皇室の系統)の結びつきが強かったことも、上町台地南部が南朝の拠点になった要因と考えられます。
上町台地には他にも南朝の名残があり、地名にもなっています。阿倍野区の「北畠」はこの地で討ち死にしたとされる北畠顕家に由来しており、北畠公園には顕家の墓も建ちます(写真下。顕家の墓の場所は諸説あり、次回詳説します)。
北畠氏は南朝側の名門貴族だったものの、顕家は公卿ではなく武将として活動し、いくども北朝との戦いに勝利しました。まだ若く姿形も美しいため「花将軍」と称されたともいわれます。しかし1338年、北朝の高師直軍との戦いで敗死。わずか21年の生涯でした。
※次回は北畠顕家とゆかりのある阿部野神社を紹介します。
中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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