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大阪墓ものがたり〜うえまち編(7)  志摩太郎

Posted on 2025年12月27日2025年12月27日 by うえまちウェブ編集者

住吉区その3〜神職のお墓と住吉大社と遠里小野(おりおの)<後編>〜


 津守家に話を戻しましょう。
 時代は降って明治4(1871)年、第74代神主津守国美(くによし)のとき、明治新政府から神主、神官の世襲制廃止を命じる「官国幣社指定、神職・社家の解職再補任の布告」が出ました。国美は職制改革による地位変更や解職、宮司復職といったいろいろな変遷を経験します。また明治16年に家督相続した娘婿で養子の津守国敏(くにとし)が宮司に就任したものの、事情があってまた住吉大社宮司に復帰します。17(1884)には男爵を授爵。明治初期の混乱に翻弄された国美は、明治34(1901)年に72歳で亡くなります。明治36(1903)年に藤原北家の流れを汲む清閑寺家から養子に入った國榮(くになが)が宮司となりますが、大正13(1924)年に退職。國榮を最期に住吉大社宮司は他姓に移ることになりました。
 以降、津守國榮の養子である通秀(みちこと)、その子息の純一が住吉大社の神職となりましたが、それ以降、津守家の神職はなくなり、現在のご当主も神職からは離れているとのことです。

 その津守國榮氏と津守家のお墓があると住吉大社の小出禰宜に教えていただいて、住吉区遠里小野(おりおの)の浄土宗西方寺を訪ねてみました。
 津守家の墓地はもともと明治維新で廃寺となった「津守寺」(現在、墨江小学校の敷地に「津守廃寺」の碑が建っています)の南隣、通称「墨江殿辻榊原(サカキガハラ)」というところにありました。戦後になって墓地が土地売却によって墓が撤去され、昭和30(1955)年頃、縁のあった西方寺に移設されたとのことです。やはり、明治時代まで続いた神仏習合のもと津守氏の一族が別当(べっとう)として管理していた「津守寺」や、住吉大社敷地内の広大な「住吉神宮寺」内には穢れに通じるお墓は置かれることはなかったようです。その外側の場所に墓地を設けていたということなのでしょう。残念ながら明治政府の神仏分離、廃仏毀釈政策によって両寺とも現存しません。かろうじて住吉神宮寺の西塔が徳島県阿波市の切幡寺(きりはたじ)に移築されて残っています。
 明治政府の政策によって、古寺や文化財がたくさん失われてしまったことはほんとうに残念なことです。
文化遺産オンライン<切幡寺大塔> https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/157805

 西方寺でお墓を見て少し驚きました。津守國榮と静子夫人の夫婦墓は、住吉大社宮司で男爵であった方の墓にしては驚くほど小さく質素です。國榮男爵は昭和15(1940)年に亡くなっているのですが、墓は昭和32(1957)年建立となっています。静子夫人が亡くなった後に久我家から養子に入った通秀(みちひで)氏が建立されたのでしょうか。通秀氏は住吉大社の権宮司(ごんぐうじ)もされましたが、男爵、陸軍少尉であった方で、昭和51(1976)年に亡くなっています。

 津守家の墓石は少し不思議に思いました。軍人でもあった通秀氏はわかるとしても、國榮神主ほか周りにある神職であった津守姓の墓や津守家先祖代々之墓にも「奥津城」の文字はなく、普通の墓石です。そして香壺のようなものが置いてありました。何とも不思議です。神道から離れてしまったということなのでしょうか。
 津守家墓石群の近くに住吉大社ほかで歴代神職を務めておられた家の墓石群がありましたが、こちらには墓標にまさしく「○○家之奥城」と記されていました。


 江戸時代の津守神主の墓石も移転されて同寺内に現存していると教えていただいていたのですが、当時の津守寺が浄土宗だった関係で院号戒名になっているとのことで発見できませんでした。もしかすると津守家墓石隣にあるいくつかの宝筐院塔(ほうきょういんとう)がそれなのでしょうか。お寺も詳しくはわからないとのことでした。

 西方寺を後にして、ちょっと近隣のお寺へ。
 ここ住吉区遠里小野(おりおの)は古代から榛(はしばみ)から搾った油を住吉大社のご神灯のために奉納していたそうで、日本の搾油(さくゆ)発祥の地と言われています。江戸時代には菜種(なたね)油の製造がはじまり、その一大産地として繁栄しました。16世紀以前創建の古刹(こさつ)もいくつかあり、これらのお寺には、江戸時代に日本で最初の手形制度を創設し、十人両替仲間の筆頭両替商となった「天王寺屋」に繋がるご一族や、昭和40年代からうどん飲食店チェーンで成功されたご一族のお墓もあります。また、毘沙門天で有名な極楽寺には楠正成が寄進したという石灯籠(重要文化財)が境内にあります。なかなか歴史を感じさせる街です。

 次回は住吉大社の北隣「一運寺」に向かいます。

大阪墓ものがたり〜うえまち編(6)  志摩太郎
大阪墓ものがたり~うえまち編(1)  志摩太郎
Posted in 大阪墓ものがたり うえまち編Tagged 墓, 津守家, 津守廃寺, 住吉神宮寺, 住吉大社, 住吉
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