職業:氷売り
落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫

盛夏の街を氷売りが、氷室(ひむろ)から出した氷を売り歩きながら、声を張り上げている。「一杯五厘、一杯五厘、氷、氷」。
そこへ、巡査が5人の女性を引っ張って通りかかる。見ていた通行人が話している。「あれは何や」「淫売(売春婦)やがな」「ああ、そうか。淫売五人(一杯五厘)やな」。そして、「あの女たち、どないなるんや」「拘留(氷)、拘留」。
氷とは“凍り”の意味で、水がセ氏零度以下の固体状態になったものだ。
現代では、各家庭にある電気冷蔵庫で簡単に氷が出来るが、かつては冬に自然凍結した氷を採取して、「氷室」と呼ばれる場所に保存し、それを夏に食していた。
記録に見えるものでは、五世紀前半の仁徳天皇の治世の頃に、奈良県天理市にあったとされる氷室が最も古い。
その氷室は、縦横がおよそ10m×8m、深さがおよそ3mの擂鉢(すりばち)状の穴に薄(すすき)などを厚く敷き、池から採取した氷を置いて草を覆ったものだったという。当初は、10ヶ所に21室の氷室があり、氷を採取する池が540ヶ所あった。宮廷の管轄内にあって、高価なものとして天皇をはじめ一部の人しか口に出来なかった。氷室の番人を「氷室守(ひむろのもり)」と称した。
江戸期になると、庶民の口にも少しずつ入るようになる。旧暦6月1日には、「氷室の節句」と呼ばれる行事が行われるようになった。1年前の雪水で作った欠餅(かきもち。正月の鏡餅を手で欠いて小さくした餅)や氷餅(寒中にさらして凍らせた餅)を食べる行事である。
19世紀になって、水産物の冷蔵を目的とした製氷技術が考案された。アンモニアを冷媒とする冷凍機を用いて、製氷槽(そう)に水を入れたトタン板の氷缶を並べ、塩化カルシウム水溶液を循環させて氷を作るものだ。
そこから漁船冷凍設備の発展、物流上の冷蔵庫の一般化を経て、さらに家庭での電気冷蔵庫の普及に至ったのである。
夏の甲子園高校野球では、氷を拳(こぶし)ぐらいに砕いてビニール袋に入れた「カチワリ」が名物となっている。
50年程前、ハワイのホテルでは各室の冷蔵庫に氷を運ぶ係のボーイが居た。早朝からブザーを押すので客が「朝早くからうるさい! 誰や!」「アイスマン(氷係)」「あい済まん、で済むか!」
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