落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
プロスポーツの中で、独自の“社会”を形成している大相撲(日本相撲協会)。そこに所属する競技者を相撲取(とり)又は力士と呼ぶ。中でも、十両以上の力士は関取(せきとり)と言う。本来は最高位であった大関を指す敬語だった。
歴史書『古事記』には、建御雷(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神が、力競べをして国譲りをしたと書かれている。
その後、『日本書紀』の第11代垂仁天皇紀に、出雲の野見宿禰(のみのすくね)と奈良県葛城市の当麻寺あたり出身の当麻蹴速(たいまのけはや)が力競べをして野見が勝ったと記されている。これが相撲の始まりとされる。
奈良期の第45代聖武天皇が全国から相撲人(びと)を集め、宮中で「節会(せちえ)相撲」を催した。室町期に入り職業力士が誕生し、江戸期に隆盛を見せた。
当初は名誉の地位だった横綱の初代は明石志賀之助。さらに、谷風梶之助や小野川喜三郎ら名横綱が誕生した。1909年に国技館が建造され、国技として現在に至っている。
落語の世界にも『相撲場風景』『佐野山』『花筏(いかだ)』など、相撲がテーマの噺は多いが、その中から、少し珍しい『半分垢』をご紹介しよう。
旅興行から久しぶりに自宅に帰ってきて休息している関取の所に、贔屓(ひいき)客が訪れる。関取の妻は、ここぞとばかり、夫を大きく見せるために法螺(ほら)を吹く。それを聞いた関取は、妻に「もっと謙虚になるように」と諭す。次に訪れた客が「関取は大きな体ですな」と誉めると妻「いいえ、大きいようでも半分は垢です」。
水死体のことを“土左衛門(どざえもん)”と呼ぶのは、江戸期の力士、成瀬川土左衛門の顔が水死体にそっくりだったことから付いた、ありがたくないニックネームだ。いや似付(につ)くネームである。
#うえまち台地 #上町台地 #大阪市 #落語 #職業 #半分垢 #相撲取り