落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
皆さんは、一心太助(いっしんたすけ)という人物をご記憶だろうか。歌舞伎や講談でおなじみの、気風(きっぷ)が良くて義侠心に富んだ男だ。「天下のご意見番」といわれた大久保彦左衛門にも可愛いがられた。この太助、本業は魚売りである。
冷凍や冷蔵の技術がない時代は、魚介類の販売は鮮度だけが勝負になる。上方では「手手噛む鰯(ててかむいわし)」、つまり手に噛みつく位の生きのよい鰯だ、と売り声をあげて町々を回った。だから売り手も意気の良さが要求される。そんな気性の魚売りの男を描いた名作人情噺『芝浜』の粗筋(あらすじ)は、こうである。
腕は良いが酒ばかり呑んで怠けている魚売りがいる。見かねた女房が、早朝にたたき起こして、魚河岸に仕入れに行かせる。早過ぎたので、市はまだ開いていない。仕方なく男は、海辺で顔を洗おうとすると、財布が流れついている。中を見るとたっぷり50両はある。思わず懐に入れ家に帰る。妻に子細を話し、友人を招いて祝いの宴を開く。
泥酔して寝た翌朝、女房から「あれは、あんたの見た夢だ。50両などなく、この通り借金だけ残っている」と告げられ、男は反省し、人が変わったように働く。いつしか店を構え、奉公人を置く程、繁盛するようになる。
3年経った大晦日の夜、店終いし夫婦2人だけになった時、女房は50両を前に置き、「これはあの時の金だ。あのままではあんたが盗人になってしまうので、お上(かみ)に届け出たものが還ってきた」と真相を明かす。感謝した男に、女房が「一杯どうぞ」と酒を勧めると、男「やめとく、また夢になる」。
江戸期の魚河岸は、江戸では日本橋と深川に、大坂では今の西区靭(うつぼ)にあり、上方では「雑喉場(ざこば)」と言った。天満の青物市場と双璧をなした。「雑喉場の時化(しけ)で鯛(台)無し」のしゃれ言葉が残っている。落語家の桂ざこばは、ここから来た名前だ。
こんなことも、酒のサカナになりませんか。
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