落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
大坂・日本橋の宿屋に1人の武士が泊まる。長旅で疲れているので静かな部屋に案内してくれと頼むが、隣室に入ったのが、伊勢参宮を終えた兵庫の3人の男たちだった。宵の口から芸者を挙げて大騒ぎ。果ては寝床の上で相撲を取り出す。武士はその都度抗議するが静かにならない。
男の1人が、武士の妻との不義が夫に見つかり、男はその夫を殺害したと作り話をしているのを耳にした武士、これは義弟殺しの犯人だ。やっと仇に会えた。明朝、敵討ちをするので3人を逃すな、と宿の者に厳命する。
翌朝、「彼らをどういたしましょう」とお伺いを立てると、武士にっこり笑い「ああ申さぬと夜通し寝かしおらん」。
宿は平安末期に、京・奈良・港町・街道の主要集落などで始まった。その後、寺社の門前にも参拝者相手のものができた。室町期にできた木賃(きちん)宿は、木銭(もくせん)宿とも呼ばれ、燃料費だけを取って旅人に自炊させる安宿である。1931(昭和6)年に簡易旅館と名称が変更された。
江戸期には、この木賃宿や旅商いの人相手の商人宿の他に、飲食と入浴付きの旅籠(はたご)が主流になった。これが、今日旅館・ホテル・ビジネスホテル・公共宿泊施設・ペンション・民宿など多様な形式に発展していく。
旅籠は、旅人の給仕をし売春も兼ねた飯盛り女がいる飯盛旅籠と、そうでない平旅籠に二分される。また、大名・役人・勅使(ちょくし=天皇の意思を伝える特使)・門跡(もんぜき=高貴な僧)などが宿泊する幕府公認の宿である本陣(ほんじん)と、大名の参勤交代の折に、多人数なため本陣に入り切れない供人用の脇本陣が、五街道の宿場に設置されていた。
旅の道中には、護摩の灰(ごまのはい)とか胡麻の蝿(ごまのはえ)と言われる、旅人の扮装をして財物を盗む盗賊が、多く出没した。そのため、旅立ちや無事に帰った時に、旅籠振舞(はたごぶるまい)とか旅籠振い(ぶるい)と称する祝宴を上げた。昔の旅は命がけなので、そうタビタビできなかった。
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