所在地:大阪市天王寺区餌差町
写真/中原文雄 文/松本正行
「大阪は木のない都だといわれているが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついている」(『木の都』より)
織田作之助は有名なこの一文を、生國魂神社界隈を思いながら描いたのでした。
織田作之助(通称、オダサク)は生玉さんの向いの生玉前町(いまの上汐4丁目)に生まれます。第三高等学校(現在の京都大学)に入学するまで、上町台地周辺で過ごしました。『木の都』はじめ『わが町』『アド・バルーン』など、オダサク作品に上町台地を舞台にしたものが多いのはそのためです。
文学に目覚めたのは高津中学(現在の高津高校。写真上)の時で、当時から高津は自由な校風で知られ、夜の街に出向くこともあったようです。『夫婦善哉』で描かれたうまいもの巡りも、このころから始まったと言います。ちなみに、高津高校の出身者には『仁義なき戦い』の飯干晃一、直木賞作家の藤原伊織、『夜を賭けて』で知られる梁石日など無頼派的な作家が多いのですが、それもオダサクの影響なのでしょうか。
代表作の『夫婦善哉』を書いたのは1940(昭和15)年で、亡くなったのはそれから7年後の1947年です。享年33。いまは天王寺区城南寺町の楞嚴寺(りょうこんじ)に眠ります。
各地に文学碑が残りますが、ぜひ見て欲しいのが口縄坂にあるそれで(写真下の1枚目)、『木の都』の一節が刻まれています。また、生國魂神社には織田作之助像(写真下の2枚目)が建ちます。ハットを被りマントを翻した、いかにもオダサクらしい姿です。
中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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