落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
幇間(ほうかん)とは、酒席でお客にさまざまな芸を見せて座を盛りあげる職業の人である。幇には助けるという意味があり、お客と芸者や遊女たちの間でサービスの補助をする、との意味である。江戸宝暦年間(1751~64年)に職業と意識され、文化文政年間(1804~1830年)に最盛を迎えた。
太鼓とも太鼓持ちとも称する。太鼓をたたく時に相づちを打つ状態に似ているところから名付けられた。また男芸者とも呼んだ。さらに、本社に所属する小さい神社を末社(まっしゃ)と言うが、幇間もそれに似ているからと、末社と言われた。また吉原遊郭では、太夫と称せられた。
お喋り上手なので、落語家に転向した人も多く、4代目桂文楽が有名である。幇間としては、桜川の一門が主流で、戦後も桜川ピン助と名のる人が、寄席の世界でも活躍した。
残念ながら、現在ではこの仕事を継ぐ人はいない。
幇間の一八(いっぱち)は、なじみの旦那から声が掛かりお茶屋に行く。旦那は近頃、鍼(はり)に凝(こ)っていて、いつもは、野菜や空気枕で練習していた。動くものに打ちたいと猫に試みるが、反対にひっかかれる始末。そこで、一八のお腹を借りて鍼を打ちたいと言い出す
断る一八に「1本につき1両やる」と好条件が出たので一八は承知する。だが、何本打っても鍼が途中で折れ、一八の腹は血まみれになる。それを見て旦那は逃げ帰ってしまう。事の次第を知ったお茶屋の女将「おまえも鳴らした太鼓なのにねえ」と同情すると一八「いや、皮が破れて鳴りません」。
鍼術は、中国伝来の東洋医学の一つで、留針に似た金・銀・鉄・石などで造った鍼を、患部に打って治療する。神経痛・リウマチ・五十肩・腰痛などに用いられる。現代の日本では、健康保険が適用される。一八の病状は適用外だが。
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