所在地:大阪市中央区法円坂1丁目
写真/中原文雄 文/松本正行
ある人物がいなければ、難波宮跡はビジネス街になっていたかもしれない――。そう聞いて驚く人もいるでしょう。実は、難波宮(写真上)は長らく「幻の都」だったのです。陸軍用地だった法円坂一帯こそ、難波宮があった場所に違いない、そう考えた山根徳太郎博士(元大阪市立大学教授)が調査をしなければ、あれだけの一等地です。今頃は多くのビルが建ち並んだことでしょう。
第二次大戦前、平城京の大極殿にも使われた鴟尾(しび)瓦のかけらが法円坂から出土しました。これを見た山根博士は「ここが難波宮跡だ」と確信し、1954(昭和29)年から調査を開始します。しかし、なかなか成果が得られず何度も開発の波に襲われたそうです。それでも粘り強く発掘を進め、ついに大極殿を発見(1961年)。その後、保存運動にも力を入れ現在の姿になったのでした。
難波宮跡からは前期(7世紀半ば)と後期(8世紀半ば)2つの時期の宮殿跡が見つかっています。前期は大化の改新の際、造営された宮と考えられ、後期は聖武天皇の時代にあたります。実際に、それぞれ都が置かれた時期はわずかですが、長年“副都”として機能しました。それだけ海外との玄関口であった大阪の役割は大きかったのでしょう。
大阪歴史博物館の10階には山根博士の功績を紹介するコーナーが設けられています。写真下のように花見を楽しんだあとにでも覗いてみてください。
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中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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