落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
帯屋の久七、人呼んで帯久(おびきゅう)は、近所の和泉屋与兵衛に百両も借金をしていた。与兵衛の店は、これが原因で傾き、類焼で丸焼けになる。そこで与兵衛は久七に返金を迫るが、にべない返事。腹を立てた与兵衛は久七の店に火を付ける。
奉行は与兵衛に同情し、久七に利子込みの2百両を返せと判決するが、久七は50両だけ、年1両ずつ返すと返答する。奉行は了承し、与兵衛の死罪の執行も、払い終わる50年後に延期すると伝える。今年61歳の与兵衛にとって、これは無罪に等しい。奉行が「今年、本卦(ほんけ)やなあ」と声を掛けると与兵衛「いえ、別家に居候しております」。
帯とは、辞書によると「着物の上から腰のまわりに装着する細長い布」とある。その起源は古く、古墳時代の埴輪(はにわ)に見ることができる。
発展を見せたのは、江戸中期以降で、特に女性は美の象徴として帯に多額のお金を費やした。男帯は、角帯(博多織や小倉織の2つ折の帯)と兵児帯(へこ帯。薩摩藩の兵児が発祥の子供用の帯)ぐらいだが、女帯は多様だ。丸帯、袋帯、合わせ帯、細帯、単(ひとえ)帯、名古屋帯(大正初年に名古屋で考案された3.5メートルもの長い帯)など、様々な形式のものがある。
これには、帯止め、帯揚げ、しょい揚げなどの小物が必要で、これらのみを売る店を小間物屋と言った。また、帯の結び方にもいろいろあって、お太鼓、ふくら雀、文庫、やの字、だらりなど、帯によって結び方が違った。京の祇園の舞妓の象徴は「だらりの帯」にある。
妊娠5カ月目の戌(いぬ)の日に、妊帯や腹帯(岩田帯)を締める行事を「帯祝い」と言う。また七五三の宮参りのことを「帯始め」と称するのも、帯の重要性を示すものである。
と「帯に短し襷(たすき)に長し」の説明になってしまった。
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