職業:眼鏡屋
落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
眼鏡屋の店先で、盗人たちが今夜盗みに入る手はずを相談している。その話を小耳に挟んだこの店の丁稚が、節穴に物が数倍に見える将門(まさかど)眼鏡を嵌め込む。これを見た盗人、丁稚が何十人も居るので驚く。盗人が別の者と替わる間に、丁稚が顕微(けんび)鏡に差し替えたので、今度は丁稚が巨人に見える。最後に親分が覗くと、望遠鏡を逆さにして嵌めてあったので、親方「この仕事は止めよう。奥まで入るのに夜が明ける」。
10世紀に中国人が拡大鏡を使用していたことが、記録に残る眼鏡の始まりだ。13世紀にイギリスの自然科学者フランシス・ベーコンが、その使用を定着させた。日本には16世紀にフランシスコ・ザビエル(キリスト教の伝道士、スペイン人)によって伝えられた。
遠視や老眼の矯正には凸レンズ、近視には凹レンズ、乱視には円柱レンズが用いられる。また、強い直射日光を防止するためには、色眼鏡(サングラス)を使用する。
それらの眼鏡には、耳と鼻に掛ける掛け眼鏡と、角膜に密着させるコンタクトレンズがある。後者は20世紀になってから発明された。原料はプラスチックだ。掛け眼鏡は主にガラスが使われる。
眼鏡を作る時の矯正単位には、“度”を用いる。焦点距離をインチで表した数で、度数が多い程、視力が弱いことになる。またディオプターという焦点距離をメートル単位で表したものを使うこともある。
他に眼鏡の種類としては、潜水者用の水中眼鏡、運転者用のゴーグル、おしゃれ用の度の入っていないもの、レンズ1つの片眼鏡などがある。
眼鏡絵という絵がある。江戸後期にオランダや中国から伝わったもので、円山応挙や司馬江漢らが描いた。反射鏡と凸レンズを組み合わせた装置を通して見る絵のことである。覗眼鏡(のぞきめがね)や覗からくりに応用された。西洋画の透視遠近法を応用した絵だとされる。噺に登場する「将門眼鏡」は、平将門に7人の影武者がいたことから、一つの物が数倍に見えるレンズを指す。
長崎名物で知られる石造や煉瓦(れんが)造の2連のアーチ橋を、眼鏡橋(めがねばし)と呼ぶ。眼鏡猿や眼鏡蛇(インドコブラのこと)も、あなたの眼鏡にかないますか。
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