職業:カラオケ・ボックス
落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
麻雀(マージャン)をこよなく愛する男、このままでは身を持ちくずすと考える。今日限りで止めようと決意して、最後のゲームをするため雀荘(じゃんそう)にやって来る。
親しい友人3人と始める。それぞれに冗談を飛ばしながら楽しく進行するが、男1人が大敗することが分かる。もう1度やりたいと言う男を無視して帰ってしまう。男「ええわい! 別の友達を呼んだらしまいや。1人でやっているのやから」。(6代桂文枝作)
長男は野球ファン、二男は落語ファン、そして三男は大のカラオケファンで、毎日カラオケ・ボックスに入りびたっている。
今夜も、3人は帰宅すると、両親の前で趣味の話をして悦に入っている。三男は、得意の演歌を何曲も披露した上で、母親に向って「母さんお肩をたたきましょう……」と童謡を唄い始める。「演歌ではないやないか」と問うと三男「母さんの顔見て動揺(童謡)した」。(青井竿竹作)
空(から)のオーケストラを略したカラオケという語は、日本語と英語の合成語である。
歌謡曲などの伴奏だけを演奏し、利用する者がそれに合わせて歌うことが出来る装置のことで、日本発の世界共通語になった。
1970年代に、神戸の歓楽街で産声を上げた。酒場で歌を歌うとなると、流しの演歌師を呼んで、ギターやアコーディオンなどの伴奏で歌うのが一般的であったが、カラオケの出現で、安価に手軽に好きな歌を歌えるとあって、サラリーマンを中心に一気に火が付いた。
10年後には、アメリカに加え韓国、台湾などアジアにも広く普及し、世界的な流行を見せる。同じ頃、酒場だけでなく一般家庭にもカラオケの機械が発売されるようになった。
やがて専用の独立した小部屋を時間制で貸与するカラオケ・ボックスが登場する。アルコールを含む飲み物や軽い食事も提供されたので、手軽なレジャーとして、今や大きな産業の地位を占めている。
当初は、伴奏テープだけだったが、ビデオディスクで歌詞とその曲のイメージにふさわしい画像が流されるようになり、より一層その価値が高まった。
さらに、1990年代には、通信カラオケが考案され、店側がソフトを用意することが不要になったため、クラブやスナックでも必須の装置となっている。
歌い終わった後、歌唱力の評価が画面に点数で表示されるものもあり、その点数で景品を出すなど、カラオケを媒体とした新しいサービスが生まれている。
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