職業:妾奉公(めかけぼうこう)
落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫

“おすわ”と呼ばれる性悪女を妾にした旦那。本妻の勧めで妻妾同居を始める。だが妾が妻を苛(いじ)めるので、妻は悲観して井戸に身を投げる。その夜から、旦那と妾が寝ようとすると、「おすわどん、おすわどん」という声が聞こえるようになった。
旦那の依頼で近所に住む剣術の先生が調べると、夜鳴きそば屋が発する「そばうどん」の売り声であることが判かる。剣術の先生が「紛(まぎ)らわしい!」と怒りそば屋を斬ろうとする。そば屋は、そば粉を差し出し「これで許して欲しい」と請い、さらに「これを手打ち(手討ち)にしてください」。
「お妾はたった四五寸仕事なり」とする江戸古川柳がある。また「立つ女横になるのが御奉公」との句も残る。これらの句で知れるように、妾も立派(?)な職業である。遊女や盗人と同様に法律や倫理上は認められないものの、かつては職業と考えられていた。
妾という言葉は、”目をかける“が語源だ。この字を分解して”家に波風立つ女“と笑いめかす者がいた。手をかけて愛するの意味で”てかけ“と称することもある。また、側女(そばめ・側妻という字を当てる場合がある)や、正室に対する側室(そくしつ)の表現もある。近年は二号と言う。
この他には、そっかけ・日陰者・囲いもの・内妾・外妾・おなで・おさすり・炊(た)きざわり・さきすり・下猫・二仕(ふたせ)・小使組・手水(ちょうず)組・おしし組・出格子(でごうし)・れんじ窓、などと実に多様な異称が残っている。それだけ世間の関心が深かった証拠である。
歴史的には、奈良期に2番目の妻(次妻)として認められ、夫と二等親の関係にあった。
妾をショウと呼んだ。江戸期には、召使いの立場で、妾奉公の呼び名になった。明治初期には、奈良期同様に夫の二等親として配偶者関係にあった。しかし、1882(明治14)年には、その立場が否定され一夫一妻制が確立した。
現在は、妾を作った夫は、貞操義務違反で離婚理由になる。浮気よりはるかに罪深いことを“目をかけて”、いや気にかけて生活する義務がある。
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