落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
世間話に時を過ごすことを「油を売る」と言うが、江戸期の髪油を売る商人が客に効能をじっくり説明して商売したことを語源とする。
「油を差す」はおだてること、「油を注ぐ」は人を誉め囃すこと、「油を絞る」はきびしく叱ること、など油に関する慣用句は多い。それだけ、我々の生活に油が深く入り込んでいたのだろう。そこで、油屋にまつわる小咄『油屋猫』をご紹介する。
繁昌している油屋に、化け猫が出るという噂が立って、客足が跡絶(とだ)えた。店主が捕まえてやろうと寝ずの番をしている所へ、当の猫が現れる。主人が「憎っきやつ!」と用意していた石を投げつけると、ひょいと体をかわした猫「危やのう(油屋のう)」。
アブラには4種の漢字を当てる。液体の時は油、固体になると脂、肉のアブラの場合は膏、ねっとりとした脂肪は膩というむつかしい字を使う。
油は、昔は植物油が主だった。胡麻(ごま)や荏(え)胡麻、大豆、菜種、椿、綿などから採取した。店を構える前は、全国を行商して売りさばく商人が「油座」という組合を作って、仕事を円滑にした。
その座は各地に作られたが、中で最も大きい組織が、山城国(現京都府)大山崎にあった。商人の出立ちは、藍の木綿に渋茶の胸立てを付け、油桶を天秤棒で担いで歩いた。
この山城の油売りから美濃(現岐阜県)の領主になったのが、蝮の道三(まむしのどうさん)と呼ばれた斎藤道三である。道三が奪った美濃は土岐(とき)氏が治めていた。この土岐氏につながる明智光秀が織田信長を制した直後に、豊臣(羽柴)秀吉と戦って敗れたのが、山崎の天王山だ。歴史の縁を覚える。
江戸期、油屋から呉服問屋に転じたのであろう、京の室町通りに店を構えた油屋太兵衛が考えた「油屋絹」と呼ばれる絹物が、人気を博したという。と油を扱っただけに、筆の滑りがいつもより良かった。
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