落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽さんならではの切り口で
落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
年越しや節分に、厄難を追い払う行事に目をつけて、金品を得ようと考えた者がいた。
「御厄、払いまひょ」と唱えて町内をまわり、声のかかった家の前で厄払いの口上を述べて金品をもらう、という限定的職業であった。その口上は「あら目出たや目出たやな。今晩今宵の御祝儀に、目出たきことにて払おうならば、まず一夜明ければ元朝の、門(かど)に松竹注連飾(しめかざり)、床に橙(だいだい)鏡餅、蓬莱山(ほうらいさん=霊山)に舞い遊ぶ、鶴は千年亀は万年、東方朔(とうぼうさく=古代中国の長寿の学者)は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大助(歌舞伎の登場人物)百六つ、この三長年(ちょうねん)が集まりて、酒盛りいたす折からに、悪魔外道(げどう=邪悪の者)が飛んで出で、妨げなさんとするところ、この厄払いが掻い摘(つま)み、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山(しゅみせん=数々の仏が住む山)の彼方(かなた)にサラーリサラリ」といった名調子が綴られる。
この風習を描いた古典落語に『厄払い』がある。誰も演じなかったのを、戦後、人間国宝桂米朝が復活させた。現代人にもわかりやすくアレンジしてある。
人並み以上に縁起かつぎの強い商家の大旦那。当然のことのように、節分の夜に“厄払い”を招いて口上を述べさせる。その男が去った後、奉公人たちは、縁起の良い言葉を唱えて旦那の機嫌を伺う。
番頭は、たまたま雨が降ってきたのを見て、「降るは千年、雨は万年、と言いますから、めでたい」と言って大旦那を喜ばせる。それを見た丁稚の定吉、寝かかっていたが、立ち上がり、布団(ふとん)を振りまわしながら「へえ、夜具払いまひょ」。
江戸中期の俳人炭(たん)太祇(たいぎ)の句に「声よりも頼もし気也(げなり)厄払」の句がある。市中にこの風習が広く浸透していた証しだろう。
男性読者が日頃から奥さんより受けている“厄介払い”と“厄払い”は違う。
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