落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
3両の大金を拾った正直者の男、落し主が分かったので本人に届けると、一本気の落し主「落とした金は俺の物ではない」と拒否する。そこで受け取れ、受け取れないと押し問答になり、大喧嘩が始まったので仲裁人が奉行所に訴え出る。
裁きを担当した北町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)は、2人の律義さを誉め、3両に大岡が1両足し、計4両を2人に分け与える。「おまえ達は3両を素直に受け取っていれば良いものを、2両になってそれぞれ1両の損、奉行も1両出して損。これ“三方一両損”だ」と見事な判決を下した。
そのあと奉行のはからいで祝宴となり豪華な膳が出る。大岡が「空腹じゃと言って、あまり食すなよ」と声を掛けると、「へえ、多かあ(大岡)食わねえ」と1人が答えると、他方「たった一膳(越前)」。
奉行という役職名は、時代で異なるが、江戸期には、将軍直轄の勘定奉行(今の財務大臣)、寺社奉行(同文科大臣)と老中管轄の町奉行(同裁判官)の3奉行所があった。
江戸町奉行は北町と南町の2つに分かれ、1ヵ月交代で法廷を開いた。休みの月は、訴訟準備についやした。たくさんの人が担当したが、大岡忠相はとくに裁定が公正で人情味があった。そこから「大岡裁き」という名句も残っている。8代将軍吉宗に認められ老中にまで昇格した。
奉行の下には、検察官に当たる与力(よりき)、その下に警察官に当たる同心(どうしん)が存在した。
江戸以外の地にも町奉行所があった。それを遠国(おんごく)奉行と称し、京・大坂(東町・西町)・伏見・駿府(すんぷ=静岡県)・長崎・山田(三重県)・日光・堺・佐渡・下田・浦賀・箱館(函館)の12ヶ所に設けられた。
「遠山の金さん」こと遠山金四郎(景元)も江戸町奉行の一人で、江戸後期の名奉行として知られている。この頃の奉行の年俸は2500両だったというから、相当な高給取りである。大岡越前守が一両損するぐらい、たいしたことではない。
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