落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽秋夫さんならではの
切り口で落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
皆さんには3代目桂春団治の名口演で記憶に残る『鋳掛屋』は、春団治家に代々伝わるお家芸だ。現代では全く見られなくなった鋳掛屋が描かれる。穴が開いたりひびの入ったりした鍋や釜を、吹子(ふいご。送風機)で起こした火力で、しろめ(銅と亜鉛の合金)などを溶かして修繕する職業だ。店構えをせず町々を回り作業した。
路上で仕事をしている鋳掛屋の所に近所の悪童どもが5、6人やってきて、からかい半分の質問をする。吹子の火を見て、「おったん、その青い火の中から幽霊出るんか」とか「おったん、あんたに連合(つれあ)いはおるんか」などの悪態をつく。中に1人おとなしい子どもがいるので鋳掛屋が「あんたは大人しいな」と誉めると「うち病気」とやり返す。
ガキ大将とおぼしい子どもが、鋳掛屋の金槌を貸してくれ、と言うので断ると、怒って、大切な吹子の火を小便で消してしまう。困り果てる鋳掛屋を尻目に、子どもたちは鰻屋を冷やかそうと、風のように去っていく。
噺は、このあと鰻屋をからかい、山上詣りの途中の山伏にからんでいく。今では、後半部は上演されず、ご紹介した所でオチもなく終わる。物語がたわい無いので、緊張を解きほぐすオチが必要ないのである。
夫婦又は男女が一緒に歩くことを、「いかけ」と呼んだ。江戸文化年間の大坂で、奥さんを助手にした鋳掛屋がいた。それを見た3世中村歌右衛門が、この夫婦をモデルにした歌舞伎『船打込橋間白浪(ふなうちこみはしまのしらなみ)』を発表したことから、夫婦や男女がそろって歩くことを「いかけ」と呼ぶようになった。夫婦で外出すると「今日はいかけでっか」と声を掛けられたという。それだけ男女が一緒に歩くことが珍しかった時代があった。
竹製の笊(ざる)である「笊籬(いかき)」を売る男の噺『米掲げいかき』もあるのでややこしい。別の機会にご案内するとして、独身生活の長い筆者と、どなたか「いかけ」してくれませんか。
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