落語にはさまざまな職業が登場します。
演芸評論家の相羽さんならではの切り口で
落語国の仕事をみてみると……。
文/演芸評論家 相羽秋夫
年の瀬が迫ってくると、昔の人は正月に食べる餅を搗(つ)く算段をした。たいていの家庭には搗臼(つきうす)があって、家族総出で、時には近所の人と共同で餅搗きを行った。
餅米を蒸す者、杵で搗く者、その餅を捏(こ)ねる者、搗き上った餅を丸めたりうすく伸(の)したりする者など、分業で進められた。
一段落して、皆で、搗きたての餅を大根おろしに付けて食べる味は、格別であった。こうした手順を一手に引き受ける“賃餅”を専門とする職業が存在した。
「どうやって年を越すんや」と、大晦日に女房はぐうたら亭主に声を荒らげる。餅を搗くお金がないのだ。そこで亭主は一計を案ずる。賃餅屋が餅を搗いている音だけを聞かせて、世間体を取り繕うことを考える。
その夜、厳寒の屋外に女房をつれ出し、下半身を露出させ、手で尻をたたいて“音”を演出する。女房はその余りの痛さに耐えかね「後の二臼は白蒸し(しらむし。小豆のない強飯)にしておくれ」。
『尻餅』と題する珍作だ。
餅の歴史は古い。紀元前の中国、周(しゅう)の時代にさかのぼる。
古くから神への供物とされた。正月の鏡餅に始まり、三月の上巳(じょうし)の節句の菱餅、祝儀の折の鳥の子餅、建前に撒(ま)く小判餅など、儀式喜札に搗いた。ことに餅を撒く行事は現在でも全国のさまざまな場所で行われ、人々の心をとらえる企画になっている。
料理法としては、切餅や丸餅で作る雑煮、黄粉や餡(あん)をまぶす安倍川餅、焼餅に海苔(のり)を巻く磯辺餅、蓬(よもぎ)・栗・胡麻・黒豆・黍(きび)と一緒に搗く餅、保存食のかき餅など用途は広い。
餅のことを大阪弁でアモと言う。一説に、アンモチ(餡餅)→アンモ→アモと転化したのではないか、と言われている。今や死語に近い。
子がなく養子を迎えた後に生まれた実子を「焼き餅子(ご)」と称した。蚊柱のことを「餅搗き」とも言う。江戸期に、子供が初誕生日前に歩いた時に搗く餅を「尻餅」と呼んだ。
餅の話題でモチキリだが、今回はこの辺で。
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