ライター・編集者 松本正行
今回は「文楽」という名称について。なぜ、人形浄瑠璃を「文楽」と呼ぶようになったか、そもそものお話をしましょう。実は、「文楽」は人の名前に由来しているんです。
植村文楽軒――寛政のころ(1800年前後)に活躍しました。文楽軒はもともと浄瑠璃の師匠でしたが、自ら人形が入った興行を始めた、といいます。劇場はいまの西区堀江のあたりにありました。ちなみに、文楽軒の墓は下寺町の円成院にあります。上町台地と文楽は、ほんと切っても切れない関係なんですね。
文楽軒の流れをくむ劇場は、明治になって「文楽座」を名乗るようになります。そして、明治半ばに全盛を迎えた。以降、人形浄瑠璃を大阪では「文楽」と呼ぶようになったのでした。どうですか? 人の名に由来していたのは意外ですよね。なお、中央区淡路町の御領神社境内には、全盛のころの劇場があった跡を示す「御霊文楽座跡」の石柱と、ブロンズ製床本型の記念碑が建ちます。
その後、文楽の劇場は戦災などさまざまな苦難と変遷を経て、1984年開場の「国立文楽劇場」につながっていきます。さらに、2008年にはユネスコの「無形文化遺産」に認定され、世界の「BUNRAKU」になったのはみなさんご存じのとおりです。
さて、1月の「初春文楽公演」が近づいてきました(1月3日~26日。12月8日より予約開始)。第1部は新版歌祭文。第2部は仮名手本忠臣蔵の8段目と9段目、忠臣蔵の見どころは何と言っても「山科閑居の段」でしょう。大星由良助が吉田玉男で、加古川本蔵が桐竹勘十郎――ともに人間国宝の人形の遣い手という豪華な顔ぶれです(写真は山科閑居の段の一場面)。そして第3部が人形の衣装や動きが華やかな「本朝廿四孝」で、とくに、最後の「奥庭狐火の段」は初心者でも十分楽しめるでしょう。
https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2024/202501bunraku/
筆者紹介:上町台地上にある高津高校出身。新聞社・出版社勤務を経て、現在、WEBや雑誌等で活躍中。NPO法人「まち・すまいづくり」会員。