所在地:天王寺区六万体町1
写真/中原文雄 文/松本正行

『仮名手本忠臣蔵』に出てくる大坂の商人・天河屋儀兵衛は、「天河屋の段」まであるくらい、物語の中で重要な役割を担っています。「天河屋儀兵衛は男でござる」のセリフはあまりにも有名です。ただし、モデルとなった人物と赤穂義士のつながりはないとされます。
とはいえ、赤穂事件と大坂が無関係だったわけではありません。ゆかりの場所は各地に残り、吉祥寺(写真上)もその一つ。境内には浅野内匠頭長矩や義士たちの墓が並ぶほか、大石内蔵助の座像や四十七士の石像まであって、境内はまさに「忠臣蔵」一色。山門横の築地塀まで黒白の段だら模様にデザインされています。
そもそもこのお寺は浅野家の大坂における浅野家の菩提寺でした。事件当時の住職は赤穂出身で長矩とも交友があったと伝わります。毎年12月の第2日曜に「大阪義士祭」が催され、読経・焼香のほか、居合道の奉納や子どもたちの時代行列などが行われとても賑わいます。
このような歴史的な事件とかかわる場所が、上町台地には他にもあります。水戸藩士の川崎孫四郎は桜田門外の変の「大坂連絡役」として活動しました。事件の首謀者たちは大坂での挙兵も計画していたのです。しかし、計画は頓挫し、川崎は自刃。生國魂神社前がその場所で、いまは顕彰碑が建ちます(写真下)。

中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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