所在地:「近松門左衛門墓」中央区谷町8-10
写真/中原文雄 文/松本正行

よく知られているように、秀吉は大坂城を築城する際、周辺の寺院を移転・集約して寺町を形成させました。防御線を補強する狙いがあったともいわれます。現在も城の南側や松屋町筋、谷町筋、上町筋沿いなどに多くの寺院が集中しています。そして、その一角には大坂で活躍した多くの文人の墓が残されています。
近松門左衛門は、言わずと知れた日本を代表する劇作家です。彼の墓は大阪メトロ谷町六丁目駅の近く、建物の合間にあります。もとは妙法寺の境内にありましたが、寺院の移転に伴い、墓だけが残されました(国の史跡指定を受けており、移転が難しかったともいわれます)。写真上の左の掲示板が目印です。
さらに東へ進み、上町筋沿いの誓願寺にあるのが井原西鶴の墓です(写真上の右。中央区上本町西4-1)。西鶴の墓は長らく所在が不明でしたが、明治の文豪・幸田露伴が無縁墓の中から偶然発見したと伝わります。現在では、西鶴の命日にあたる毎年9月に「西鶴忌」が営まれ、講演会なども行われています。
そのほかにも、明星中学高校横の大応寺にある木村蒹葭堂の墓、円珠庵にある契沖の墓など、上町台地には枚挙にいとまがないほど多くの文人の墓があります。写真下は、義太夫節の創始者・竹本義太夫の墓がある超願寺(天王寺区大道1-14)から望むあべのハルカスです。こんな巨大な建物が現れるなど、泉下の義太夫もさぞ驚いていることでしょう。

中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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