所在地:化学分析場 大阪市中央区大阪城
写真/中原文雄 文/松本正行
大阪が生んだ文豪・開高健が『日本三文オペラ』において「魔窟」と呼んだその施設は、大阪城の東側を取り囲むように広がっていました。
大阪砲兵工廠――。いまの大阪ビジネスパークと大阪城公園の東半分、JRとメトロの電車区がその場所に当たります。日本最大の兵器工場で、砲兵工廠の存在も大阪が軍都といわれた大きな要因のひとつでした。
操業開始は1870(明治3)年です。戦争の度に規模を拡大し、最終的には支廠も合わせ6万人以上が働いた、とされます。黒板塀に囲まれ出入りが厳重に監視されたので「魔窟」なのですが、高い技術力を活かして民間用の金属製品なども製造していたため、「大大阪」の経済的繁栄の基盤ともなりました。
しかし、終戦直前の激しい空襲により全滅します。写真上の化学分析場などわずかしか遺構はありません。
ネオルネッサンス風の建物である化学分析場は1919(大正8)年に完成。奇跡的に被害を免れ、戦後は阪大や自衛隊の施設として使われていたものの、いまはご覧のとおり未利用です(かつて日経大阪本社ビルがあった場所のすぐ東にあります)。実は、40年近く前までは本館と呼ばれる建物も天守閣の東に残っていました。残念ながら解体され、跡地にできたのが大阪城ホールです。
戦争の記憶を風化させないためにも、真田山陸軍墓地同様、化学分析場もどう活用すべきかを考える時が来ているように思います。
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中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。
松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。
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